済生丸事業について
済生丸の理念と基本方針
瀬戸内海巡回診療船「済生丸」理念
瀬戸内海島嶼部の 医療に恵まれない人々が 安心して暮らせるよう 医療奉仕につとめます
基本方針
- 島の特性を考慮した予防医学を重視し、島民が「自分の体は自分で守る」ことを支援します
- 海をわたる病院として、近隣の医療機関と協力し、最善の治療が受けられるよう速やかな対応を行います
- 関係する行政機関と連携し、島民の医療環境の改善を図ります
- 住民との対話を尊重し、瀬戸内海島嶼部医療のあるべき姿を考えます
- 瀬戸内海に限らず国内で災害が発生したときは、災害援助診療船として、可能な限りの物的、人的緊急支援をします
- 医療関係者が、予防医学やへき地医療のあり方を学ぶ、地域医療研修の場としての役割を担います
海をわたる病院
瀬戸内海巡回診療船「済生丸」は、昭和36年5月、済生会創立50周年記念事業として当時の岡山済生会総合病院の大和院長によって発案され、昭和37年12月に運航を開始しました。ちょうどこの時期は、国が、離島・山村などのへき地保健医療対策として診療所設置のほか、患者輸送車、巡回診療車等の機動力強化などを盛り込んだ第二次の計画を策定中の頃でした。当時から大和院長は、瀬戸内の島々の過疎化や高齢化は日本の50年先の縮図であるとして、島に治療医学からなる予防医学を根付かせていきたいと考えていました。彼の「無医島の人々に医療の光を」という熱い想いが済生会を動かし、国内唯一の診療船「済生丸」が誕生したのです。 現在もその意志は引き継がれ、自分の体は自分で守るという予防医学を検診の普及という形で実践し、今日に至っています。済生丸の検診で早期のがんが発見され、早期治療へ繋がり、今も島で元気に暮らしている島民の方も少なくありません。 また、「済生丸」は島民の健康を守るとともに、検診や健康教室などを通じて交流の場ともなっており、人と人との繋がりが済生丸事業を続ける原動力にもなっています。
診療船による災害救援活動
「済生丸」は、平成7年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の際に、いち早く駆けつけ、済生会の医師、看護師等がチームを組んで41日間にわたり災害救援活動を行いました。
同年1月18日正午頃、岡山県保健福祉部より、兵庫県からの要請があり神戸へ救援の医療班を派遣してほしい旨の連絡が入りました。陸路が寸断され時間がかかるので、海路を使っての出動を決めた「済生丸」は、翌日からの診療のため愛媛県松山港に停泊中でしたが、緊急事態を受け、診療を中断して神戸へ向かうこととしました。 18日深夜、大人用紙おむつ約6,000枚、子供用紙おむつ約10,000枚、粉ミルク約1,200㎏、ロングライフ牛乳600ℓ、生理用品約7,300個の緊急援助物資を積み込み新岡山港を出港、19日朝7時35分、神戸新港へ入港。当初、「済生丸」は岡山と神戸の間をピストン運航していましたが、陸路が開通するに伴い、船は宿泊所として神戸新港に停泊し、スタッフが船と現地の仮設診療所の間を行き来するという形に変え、2月28日まで、延べ108人の医師や看護師などが様々な形で支援を続けました。
「済生丸100」は、今後、想定される南海トラフ地震等の際には、救援活動を担うことも視野に入れており、平時は検診・診療活動を続けながら万一の場合に備えています。
医療関係者の地域医療研修の場としての役割
「済生丸」の基本方針のひとつの「医療関係者が予防医学やへき地医療のあり方を学ぶ地域医療研修の場としての役割を担います」に基づき研修医や看護学生の受入れを積極的に行っています。 岡山県支部では岡山済生会看護専門学校3年生の「済生丸」での看護実習の受入れや、他県済生会の看護学生の済生丸見学会などを毎年行っています。 広島、香川、愛媛県各支部でも大学など多職種の医療関係者の受け入れや、医学生や看護学生などへの研修の場の提供など、地域医療を担うスタッフの育成に協力しています。 こうした研修の場が地域医療について考える機会となり、広い視点で医療をとらえる人材育成につながる一助になればと考えています。